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最高裁判所第三小法廷 平成2年(オ)1454号 判決

上告人

呉哲男

山口華恵

諏訪志

葛岡時恵

北野美恵

古賀珠恵

本間幸吉

本間豊吉

土屋桂香

小日向清香

右一〇名訴訟代理人弁護士

斉藤尚志

浅野晋

上告人

高野静枝

右訴訟代理人弁護士

芹沢孝雄

相磯まつ江

被上告人

旧姓洪

長谷川山海

右訴訟代理人弁護士

秋山幹男

主文

上告人高野静枝の本件上告を却下する。

その余の上告人らの本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

一上告人高野静枝の上告について

右上告人は上告理由書を提出しないので、その上告は不適法であって却下を免れない。

二上告人呉哲男、同山口華恵、同諏訪志、同葛岡時恵、同北野美恵、同古賀珠恵、同本間幸吉、同本間豊吉、同土屋桂香、同小日向清香の代理人斉藤尚志、同浅野晋の上告理由第一について

原審の適法に確定したところによれば、原判決別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)は昭和二二年ころ呉京香が売買によって取得し、また、本件土地上の建物(以下「本件建物」という。)はそのころ呉京香の父である呉場が売買によって取得したものであるところ(なお、被上告人は昭和二四年に呉京香と婚姻した。)、呉京香は中華人民共和国の国民であり、昭和五一年一一月三日上海市で死亡し、呉場(台湾出身)は昭和五三年五月三一日東京で死亡した、というのである。

被上告人の本訴請求は、被上告人が、呉京香の相続人は夫である被上告人と四人の子であり、右相続人らの遺産分割協議により、本件土地は被上告人の単独所有になったと主張して、本件建物の共有者(呉場の相続人)らに対し本件土地の明渡し等を請求するものであるが、上告人らは、呉京香の相続に適用されるべき法律は、法例(平成元年法律第二七号による改正前のもの。以下、同じ。)二五条により、呉京香の本国法である中華人民共和国法であると主張し、論旨は、この点に関する原審判断につき法令違背をいうものである。

そこで検討すると、呉京香の相続に適用されるべき法律は、法例二五条により、同人の本国法である中華人民共和国法となるべきところ、中華人民共和国においては、一九八五年(昭和六〇年)に中華人民共和国継承法(以下「継承法」という。)が制定されて同年一〇月一日から施行され、同法三六条は、中国公民が中華人民共和国外にある遺産を相続するときは、不動産については不動産所在地の法律を適用する旨規定している。そして、原審の確定したところによれば、(1) 継承法を制定した人民議会において、「同法施行前に開始した相続については、施行前に既に遺産が処理されている場合は改めて処理しないが、施行時に未処理の場合は同法を適用する」旨説明されている、(2) 中華人民共和国最高人民法院は、同法の運用について見解を示し、「人民法院は、同法が発効する以前に既に受理し、発効時にまだ審結していない継承案件に対して同法を適用する」としている、(3) これは、同法発効前の継承案件に対する法律適用問題についての基本原則と精神は同法の内容と一致しているとの考えに基づくものである、というのである。

したがって、右によれば、呉京香(昭和五一年一一月三日死亡)の相続問題が継承法の発効した時点で未処理であったとすれば、同法の規定がさかのぼって適用されることとなる。

ところで、原審の確定したところによれば、被上告人は呉京香の死亡後、中華人民共和国上海市高級人民法院に対して相続関係の証明を求めたところ、同法院の公証員は、昭和五一年一二月二九日付けで継承権証明書を発行し、日本にある呉京香の相続財産(本件土地)については、呉京香の夫である被上告人及びその子四名が継承すべき旨を証明した、というのである。しかしながら、継承法一〇条は、法定相続の第一順位者として配偶者、子、父母を規定しているところ、関係資料によれば、中華人民共和国においては、相続人の範囲及び相続の順位などについては、継承法の制定以前から同法の規定するところと同一の慣行ないし法原則が存在したとされるのであって、そうだとすれば、呉京香の相続については、その父母もまた第一順位の法定相続人となるべきものである。前記継承権証明書は、当時生存していた呉京香の父である呉場については何ら触れるところがないが、同人が相続人とならないことまでを証明しているとするには疑問があるといわなければならない。

被上告人は、前記継承権証明書により、呉京香の相続人は被上告人とその子四名であり、右五名の遺産分割協議により、被上告人が本件土地を相続したと主張するが、前示のとおり、右証明書の内容に疑問があるのであって、これに基づく遺産分割協議の効力もまた直ちには認め難いといわなければならない。そうだとすれば、呉京香の相続問題は、継承法が発効した時点において未処理であったというを妨げない。

以上によれば、呉京香の国外財産(本件土地)の相続については、継承法の規定がさかのぼって適用され、同法三六条及び法例二九条の規定により、反致される結果、結局、不動産所在地法である日本法が適用されるべきこととなる。原判決はこの趣旨をもいうものとして是認することができる。論旨は採用することができない。

同第二について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものであって、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、三九九条ノ三、三九九条一項二号、三九八条一項、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大野正男 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官千種秀夫)

上告代理人斉藤尚志、同浅野晋の上告理由

第一 法令違背

原判決は、次の通り判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。以下これを詳述する。

本件の争点の一つは本件のケースに適用される法規が日本国法か中華人民共和国法かという点である。すなわち、適用法規が中華人民共和国であり原判決の判示するように日本法ではないとすると、呉場も娘呉京香の相続人となるから、仮に本件土地が呉京香の所有だったとしても、呉場の相続人たる上告人らは本件土地に共有持分権を有することになり、従って被上告人の明渡請求は認められないことになる。

ところで、本件のような中華人民共和国私法が関係するケースについては国際私法学の分野においても従来殆ど論じられておらず、また判例も存在しない。このため上告人らは、原審において、適用法規が中華人民共和国法であることを詳細に主張し論証した。これに対し原判決は、これら主張に対し何らの判断をすることなく、被上告人及びその子ら五名が被相続人呉京香の遺産たる本件土地を相続したと結論づけているのである。以下これを逐一検討する。

一 「継承権証明書」(〈書証番号略〉)は何も証明していない。

1(一) 原判決は、上海市高級人民法院が発行した「継承権証明書」(〈書証番号略〉)について「現在の公証機関の公証員が作成した公証書と同等の域外証明の法的効力を有するものであることが認められる」としたうえで「そうすると、右継承権証明書が誤りであるとすべき特段の根拠の認められない本件においては、右証明書の公証内容が、当時の中国の不文法を適用した結果を有権的に証明したものと推定されるから本件土地の所有権は、呉京香の本国法により右の五名が共同相続したものと認められる。」と結論づけている。

(二) 原判決の誤りは、まず、この「継承権証明書」をもって「域外証明の法的効力を有する」とした点にある。これは、中華人民共和国大使に対する調査嘱託に対する回答書のうち〈書証番号略〉の第2項に「上海市高級人民法院公証員の提出した「継承権証明書」の法律有効力問題に関して。1976年中国の公証機関は法院内に設けられていて公証員は現在の公証機関の公証員と同等の公証職権を備え、提出された公証書と現在の公証書は同等の域外証明の法律効力を備えている。」と記載されているのをそのままなぞって書いただけであって、ここに言う「域外証明の法的効力」とは一体何を指すのかについて全く何らの考慮も払っていないのである。

日本の公証人法第2条は公証人作成の文書の効力につき「公証人ノ作成シタル文章ハ本法及ビ他ノ法律ノ定ムル要件ヲ具備スルニ非サレバ公正ノ効力ヲ有セス」と定めている。この規定の趣旨は要するに「法律行為につき作成された公正証書は、当事者がこれに記載したとおりの陳述をしたことについては反証のないかぎり、完全な証拠力を有する。」ものの「公正証書に記載された陳述内容の真否については、裁判所は自由に認定することが許される。」(大審大正一〇・七・八民録二七―一三六九その他多数あり)というものである。

これは要するに公正証書といっても作成名義の真正のみを証明するのであって、その内容の真否については全く証明していないことを示している。

また外国の公証人作成の証明書の効力については、公証人法にも他の法律にも何ら規定がない。外国の公証人作成の証明書の形式的証拠力や実質的な証拠力を定めた法律は何ら存しないのである。

(三) ところで、右の「継承権証明書」(〈書証番号略〉)が作成された一九七六年一二月二九日当時の中華人民共和国は、一体どのような状況にあったのであろうか。この証明書が発行された一九七六年の中華人民共和国の法制は、いわゆる「文化大革命」と、「四人組」台頭の余波で混乱の只中にあった。一九七六年一月には、周恩来首相が死去、同年四月五日にはいわゆる「天安門事件」がおこり、九月には毛沢東が死去した。そして同年一〇月六日にはいわゆる「四人組」が逮捕されるに至ったのである(〈書証番号略〉)。佐々木静子氏が述べるように、当時は「文化大革命のもと、法律は無視され破壊され、中国の法制について尋ねても、殆ど梨のつぶてで答は返ってこなかった。」という状況であり、法律制度が正常化されたのは、「いわゆる四人組追放後、一九七七年後半から徐々に中国の法制は復活し」たのであった(〈書証番号略〉の「あとがき」部分)。

右「継承権証明書」は一九七六年一二月二九日付となっており、右の法制の混乱時期に発行されたものであることに特段の注意を払う必要がある。

この「継承権証明書」の発行手続きは、右の法制混乱を反映したものであろうか、日本では考えられないほどまことに杜選なものであった。これについて洪山海は、

「高級人民法院で最初はいろいろ質問があり、それに答えた後土地をもっている証明書とか、家の人員構成を書いて出しなさいといわれたのでそうしました。

戸籍謄本は出しません。身分関係を書いて出しました。そうしますと公証員がこの証明書を発行してくれました。

高級人民法院が継承権証明書を出すに当たっては、私からいろいろ聞いたり、私が書いたものを元にしたと思います。

土地の登記簿謄本を陳焜旺に私のほうに送ってもらい、私が出しました。」

と証言している。(同人の調書八六項乃至九二項)すなわち、上海市高級人民法院の公証員は、相続という法律関係についての最も基礎的な資料たる、戸籍謄本すら提出を求めずしてこの「継承権証明書」なるものを発行している。この一事をもってしても、「継承権証明書」なるものがいかに疑わしいものであるのか、およそ窺い知れるではないか。

こんな程度のものをもって、日本国の裁判所が、

「右証明書の公証内容が、当時の中国の不文法を適用した結果を有権的に証明したものと推定される。」などと判示するのは何としても奇異に思われるのである。

2 「不文法」はあったのか

(一) ところで、原判決は右のように「右証明書の公証内容が当時の中国の不文法を適用した結果を有権的に証明したものと推定される」とするのであるが、当時中国に判決の言う「不文法」なるものは存在したのであろうか。

まず奇妙に思えるのは、原判決は、この「不文法」なるものが、いかなる事項についてのいかなる内容を持った「不文法」であるかについて、全く何ら言及していないことである。これは原判決が根源たる「法」の何たるかを自ら探索、検討して自ら結論を出す手間を省き、先に述べた程度の、覚束ない「公証員」の「証明」なるものにすべてを委ねてしまったことの当然の結果である。この「公証員」の「証明」は、いかなる法的知識や資格を持った者が、いかなる法的資料をもとに、いかなる法的検討を加えて「証明」したかについては、たかだか「戸籍謄本すら提出もさせないで証明書を発行した」ということが分かっているくらいで、他は全く何も分からない。すなわち、これはいわば一種の「ブラックボックス」であって、原判決はこのブラックボックスから引き出された結論のみを根拠として判決しているのである。

(二) さて、本件の場合に「不文法」が問題となるのは

①相続人の順位や相続分の問題

②渉外相続事件について適用法規の問題

の二つである。

まず、右の①については、当時中華人民共和国において相続に関係する法規といえば、一九五〇年の「中華人民共和国婚姻法」(〈書証番号略〉)第一四条に「父母と子は相互に遺産を継承する権利がある。」との定めがあるだけであった。しかし、この当時も「相続」の問題は日常数多く発生し処理されて来ていた筈であるから、そこに何らかの「不文法」なるものがあったであろうこと、及びその「不文法」なるものをいやしくも中華人民共和国の「公証員」であるなら知っていたのであろうことは推認してもいいであろう。〈書証番号略〉の三四三頁を見ても相続人の範囲等に関し、当時「慣習法」が形成されていたことが伺われる。

(三) しかし問題は、右の②(渉外相続事件についての適用法規問題)である。これについては、少し考えただけでもそもそもこのような優れて立法政策の問題である事項について「不文法」などというものが理論的に成立し得るのであろうか。また、理論的に成立し得るとしても、中華人民共和国の法として「不文法」が現実に成立していたといえるいかなる法律事実の集積があったのであろうか。更に、「不文法」が成立していたとしても、それは一体どのような内容の「不文法」だったのであろうか、といった様々の疑問が生じて来る。

(四) まずの問題であるが、先に述べたように、渉外法律問題についていかなる国の法規を適用するかは優れて立法政策の問題であって「不文法」といった曖昧な形で存在するものではない。中華人民共和国の裁判所において外国法を適用するかどうかの問題が生じた場合には、あるいは、中華人民共和国における「不文法」が生成する可能性はある。しかし、逆に中華人民共和国から見て外国の裁判所が中華人民共和国を適用するの問題が生じたときに、中華人民共和国において渉外適用法規についての国際私法の定めがないときは、専ら当該外国の渉外適用法規の定めに従うことになるのであるから、そもそも「不文法」が成立する余地はないのである。渉外法律問題についての適用法規をどのようにするかは、各国がそれぞれの国際私法を有している。そしてこれが相互に矛盾するときは、例えば「反致」といった立法上の手法によって解決するのである。すなわちA、B二国の渉外法律問題についてA国に適用法規についての国際私法があり、B国にこれがないときには、A国の裁判所では当然A国の国際私法の定めにより適用法規を定めるのである。ここに「不文法」などというものが入り込む余地は全くない。

(五)(1) 次に右の点(仮に「不文法」が成立していたとして、いかなる法律事実の集積があったかどうか。)これは右の「継承権証明書」というブラックボックスからは全く窺い知れない。

(2) そもそも、渉外事件の法律適用問題というのは日常しばしば生ずるといった問題ではない。慣習法等の「不文法」は一定の法律事実が繰り返し発生することによって「法」として定着することになる訳であるが、この問題について「不文法」として定着するに至るだけの法律事実の集積があったとは到底考えられないのである。

(3) 本件に関連して、当代理人が中華人民共和国の法制を調査しようとして驚いたことは、中華人民共和国においては、法律学については、日本で言えば「教科書」程度の概説書しか存在しないことであった。個々の法律問題についての研究書は殆どないといった状態である。もちろん「判例集」といえるようなものも存在しない。現在ですらこのような状態であるから、右「継承権証明書」が発行された一九七六年当時の状況はまさに「推して知るべし」といった状況にあったものと推察できる。しかも、ここで問題にしている「不文法」なるものは、中華人民共和国とそれ以外の外国との間の渉外法律問題について当該外国における裁判所が裁判するときにおいて適用した中華人民共和国の「不文法」である。そんなものが存在したとは考えられないし、仮に存在したとしても、右のごとき中華人民共和国の法律学の水準や、法制の未整備状況からしても、戸籍謄本すら徴求せずして「証明書」を発行するような「公証員」が、右のごとき「不文法」を生成させた法律事実を知り、または「不文法」の存否を判断することができたとは思えないのである。

(4) 被上告人は、原審においてしばしば「従来不文法として実際に適用されていた法理」と主張していたのであるが、その「実際に適用されていた」ケースを何一つ挙示していなかったことに特段の注意を払われたい。被上告人の右主張は、単なる願望であって事実の主張ではなかったのである。

(六) 次に右の点(仮に「不文法」が成立していたとしたらその内容はいかなるものか)はどうか。

(1) 中国は現在二つの国に分かれているが、もとは一つの国であった。一九一二年孫文らが中華民国を建国し、清国最後の皇帝宣統帝(薄儀)が退位した。この中華民国から中華人民共和国が分離して成立したのが一九四九年である。

中華民国は建国後法律を整備していったが、一九一八年には国際私法であり我国の「法例」に該当する「中華民国法律適用条例」が制定された。この適用条例(〈書証番号略〉)の第二〇条は

「相続ハ被相続人ノ本国法ニ依ル」と、いわゆる相続統一主義を定め、相続問題はその不動産相続に関すると動産相続に関するとを問わず、すべて被相続人の本国法によって規律されることになっていたのである。

そして現在の中華民国(台湾)においては右適用条例が一九五三年に全面改正され「中華民国渉外民事法律適用法」(〈書証番号略〉)となったけれども、右の相続統一主義はなお同法二二条にそのまま残されているのである。

(2) 右の中華民国法律適用条例は現在中華人民共和国の領土である中国大陸本土においても少なくとも同共和国が成立する一九四九年まで、約三一年間有効な法律であった。

そして中華人民共和国の成立によって、中国本土においては、仮に右の適用条例(〈書証番号略〉)の有効性自体は断絶したとしても、右の相続統一主義の原理自体は、何ら社会主義の理念に反するものではないから、その後もし国際私法の相続の分野において中華人民共和国に「不文法」なるものが成立していったのだとしたら、右「相続ハ被告相続人ノ本国法ニ依ル」とする相続統一主義に基く慣習であったことが推測されるのである。

(3) 右の次第であって仮に中華人民共和国相続法の施行(一九八五年一〇月一日)(〈書証番号略〉の第三七条)前に渉外相続の適用法規につき「不文法」なるものがあったとしても、その「不文法」は相続統一主義によるものであり、従って、被相続人呉京香の相続は、同人の本国法である中華人民共和国が適用されることになる。

3 「継承権証明書」(〈書証番号略〉)自体も、適用法規が中華人民共和国法であることを述べている。

右に述べたように、「継承権証明書」なるものは実は何も「証明」していないのではあるがこれを精査してみるとその中に、「呉京香は一九七六年一一月三日中国上海で死亡し、死後日本に遺産がある。中華人民共和国の法律に基づいて上述の遺産は洪世平、洪文昌、洪緑萍、が継承すべきである。」との記載がある。もし、当時の中華人民共和国において、不動産の相続関係に関し反致についての「不文法」なるものが存在していたのであれば、ここは当然「日本国の法律に基づいて」と記載されるべきである。そして、当時の中華人民共和国の相続関係法規たる一九五〇年の中華人民共和国婚姻法第一四条によると被相続人の父呉場も相続人の一人であるから本来は共同相続人の一人である。しかし、右継承権証明書には、呉場が相続人である旨の記載がなされていない。これは公証人が右婚姻法の条項を知らなかったのか、あるいは、洪山海が公証員に対し呉場の存在を陳述しなかったのではないかと思われるのである。(または、既に死亡していると陳述したとも解される。いずれにせよ戸籍謄本の提出をしていないのであるから何とでも陳述できるわけである。)いずれにせよ、「継承権証明書」は、その記載自体からしても極めておかしなものであることがわかるのである。

4 このように「継承権証明書」はまことに杜撰なものであり、何らの事実をも証明していないことが明らかになった。しかるに原判決はこの証明書によって「当時の中国の不文法を適用した結果を有権的に証明したものと推定される」などと判示するのである。外国法といえども法の存在の探究とその解釈とは裁判所の責任に属するものである。原判決はこれを全て、中華人民共和国の公証員の脳裏に存在する法とその解釈とに委ねてしまった。繰り返して述べるが、右継承権証明書の発行された一九六七年は文化大革命による混乱の只中にあった。

佐々木静子氏によれば

「ところが一九六〇年代に入り法律制度は大いに混乱し、一九七二年に訪中した私は、大学の法学部は全廃、法律学者も法律実務家も一人も見当たらないこの国の状態に驚嘆した。文化大革命のもと、法律は無視され破壊され、中国の法制について尋ねても、殆ど梨のつぶてで答は帰ってこなかった。何とも空しい思いであった。

いわゆる四人組追放後、一九七七年後半から徐々に中国の法制は復活し、一九七九年七月には、中国現代化を進める七法律が公布された。」(〈書証番号略〉のあとがき)

という状態だったのである。このような状態における「公証員」の「証明」なるものに、日本のしかも東京高等裁判所が全面的に依居するのは余りに情けない。なにゆえに裁判所は自ら法を探究することをしないのであろうか。

二 中華人民共和国継承法は遡及適用できない。

1 法例第二五条は、「相続ハ被相続人ノ本国ニ依ル」と定めている。被相続人呉京香の国籍は中華人民共和国であるから、本件の場合同国の相続法規が適用されることは明らかである。然るに被上告人は原審において中華人民共和国継承法(一九八五年中華人民共和国主席令第二四号)第三六条第一項(〈書証番号略〉)の解説にすぎない甲第九号章、甲第一〇号章を根拠に、不動産である本件土地の相続については不動産所在地である日本法が適用される筈である旨主張した。(被控訴人の準備書面(二)の〈書証番号略〉)。この主張は、右の第三六条第一項が過去に遡って適用されるという主張に他ならない。そして原判決は、この甲第九号証、甲第一〇号証について「一九八五年中国継承法の遡及的適用を宣明した右人民議会の説明(注、〈書証番号略〉)あるいは人民法院の見解等は、中国の法制を明らかにするものであり、同法三六条の在外財産の相続についての前記抵触規定も右遡及的適用の対象となる」と判示する。しかしこれは明らかに誤りである。

2 まず甲第九号証は会議における政府説明員と思われる「法制工作委員会主任」の法案の説明にすぎないものであって、これは法的な規範力を持つものではない。しかも、反致条項までもが遡及的に適用されるといった「説明」はどこにもない。

また、甲第一〇号証はその表題中にも明らかにされているように、ひとつの「意見」であり、「試行に供」(〈書証番号略〉の訳文一枚目の本文一一行目)されたにすぎないものであって、同じく法的な規範力は何もないのである。こんなものをもって、どうして「中国の法制を明らかにするもの」といえるであろうか。

3 ところで、右の中華人民共和国継承法第三七条は、「この法律は一九八五年一〇月一日から施行する。」と定めている。呉京香が死亡したのは一九七六年一一月三日であるから(〈書証番号略〉)、被上告人は死亡時に未だ施行されていない(実はその時点では未だ法律案としても存在していなかった)法律を根拠に日本法が適用されるとしたのである。

4 先に述べたように、右の中華人民共和国継承法第三六条一項は、法例第二九条にいう反致の条項である。

ある国の国際私法が反致主義をとるか否かは、その国の立法政策の問題であるが、中華人民共和国においては、呉京香が死亡した時点では相続について反致を定めた法律が存在せず、一九八五年に制定・施行された右中華人民共和国継承法第三六条により、初めて反致主義をとることが定められたのである。同法は先に述べたように、施行の日が第三七条によって「この法律は一九八五年一〇月一日から施行する。」と明確に定められている。すなわち、この法律を遡及して適用する旨の条項は同法には存在しないのであって、同法をどのように「解釈」しても同法に基き本件の適用法規について過去に遡って反致を認めるということはありえないのである。

5 原判決は、中華人民共和国継承法第三七条において明確に施行期日が定められているを全く無視し、単なる「説明」や「解説」にすぎないものに依拠して、同法第三六条の定めを遡及的に適用した。すなわちこのことは驚くべきことに、原審裁判所がこの単なる「説明」や「解説」を中華人民共和国継承法というれっきとした法律と比較して、上位または同等の「法」として処遇していることを意味する。

このことがいかにおかしなことであるか、例えばこれを日本の場合に引き直してみると良くわかる。

国会で成立した法律中に施行日の定めがあるにもかかわらず、これを国会の当該法律の担当委員会の委員長(「法制土作委員会主任」―〈書証番号略〉の三枚目参照)の法律内容の「説明」とか、最高裁判所(「最高人民法院―〈書証番号略〉参照)の「意見」とかを根拠に、法律で定められている施行日より前に遡って適用するなどということは、日本においてはおよそ不可能である。それを可能とする原判決は、いかなる法理によってこれを可能にしたのか、まことに不可解といわざるを得ないのである。

三 仮に中華人民共和国継承法が遡及適用されるとしても第四章の手続き規定のみである

1 甲第九号証は

「家庭と財産の安定を保持し不必要な動揺が発生しないように、本法が発行する前に既に遺産が処理された場合は改めて処理しない。本法が発効する前に未処理の場合及び本法が発効した以降発生した相続関係は本法が適用される。」(なお――線部の訳は〈書証番号略〉添付の訳文と異なるが、〈書証番号略〉添付の添付の訳文は正確でない。

右――線部のように訳すべきである。)と述べている。

また甲第一〇号証の第六四項によると

「人民法院は継承法が発行する前に既に受理し、発行時に未だ審結していない継承案件に対して継承法を適用する。……」と述べている。

さてここにいう「処理」「未処理」とは何か。

2 中華人民共和国相続法(〈書証番号略〉)は次の章にわかれている。

第一章 総則

第二章 法定相続

第三章 遺言相続及び遺贈

第四章 遺言の処理

第五章 付則

右の〈書証番号略〉にいう「処理」「未処理」というのは、右〈書証番号略〉の第四章にいう「遺言の処理」のことを指すことは明らかである。

〈書証番号略〉の原文を比較して見ても、この「処理」「未処理」については、同一の文字を使用しているのである。

そこで右の「第四章 遺産の処理」の各条文を検討してみると、いずれも実体的には相続人に相続された遺産の様々なケースについて手続的な処理に関する定めをしたものであることがわかる。

手続き規定が明確に定められていなかった場合において、新たに手続規定が定められたときには、「未処理」のものについては当該の手続規定が適用されていることはよくあることであり特別の問題は生じない。甲第九号証の「本法が発効する前に未処理の場合……本法が適用される。」というのは、まさにこの「第四章 遺産の処理」部分の手続規定の適用についてのことであって、第五章付則第三六条及び第三七条のことではないのである。

そして、甲第一〇号証もこの当然のことを説明しているのにすぎない

3 このことは、甲第九号証の文言自体からも推認できる。すなわち甲第九号証は

「家庭と財産の安定を保持し、不必要な動揺が発生しないように……」(〈書証番号略〉)

同法の適用関係につき注意的に言及したものであることを述べている。そもそも、実体法上確定した相続人の地位を後日剥奪するがごとき取り扱いは、右にいう「不必要な動揺」を発生させるものであって、右甲第九号証の趣旨に反するものである。右にいう「未処理」というのが単に手続規定(第四章)の適用のみを指し、実体法上に権利の有無に大変動きをきたす、第五章付則第三六条、第三七条に定められた事項を含まないことは明らかといわなければならない。

四 遡及的反致は公序良俗に反する。

1 刑罰法規や行政法規は一般に遡及効を有しない。そもそもすべての法規は、将来の行為のみを規律することができるのであって、過去の行為を規律すべき性質のものではない。遡及効が一般に否定されるのはこのことの当然の結果であり、また規制の法律関係を維持尊重し、法律生活の安定確保に資するためである。

2 「反致」という制度をとるか否かは立法政策の問題であるが、この制度をとることにより、適用法規が全く異なって来る。そしてそれに伴いその適用法規によって規律される人々の権利・利益が大きく異なるのである。

国際私法は刑罰法規でも行政法規でもないけれども、やはり既成の法律関係を維持尊重し、法律生活の安定確保に資するため、同様に遡及効を認めるべきでない。

3 第二項で述べたように、中華人民共和国継承法において第三六条一項に定める反致条項が遡及的に適用される旨はどこにもない。被上告人が原審において甲第九号証、甲第一〇号証を提出した趣旨は、恐らく第三六条一項の「解釈として」遡及的反致を認めよということであると思われるが、右に述べたように反致というものは、一般に遡及を認めるべきものではないと解されるものであるから、仮に明文で反致の遡及効を認める条項を置いたとしても、その法的有効性には著しい疑問がある。

まして、本件の場合は何ら明文なくして「解釈上」遡及的反致を認めよという主張であって、かかる主張が認められるべきではないことは当然のことと思われるのである。

4 本年1月1日に施行された改正法例32条は、「共通本国法」が準拠法となる法例14条などの規定については反致を否定している。もし反致を肯定すると、両性平等の要請に答えるために、例えば離婚についてせっかく夫婦の「共通本国法」を準拠法としたのに、その趣旨が損なわれる可能性があるからである。例えば、共通本国法たる外国法が夫の住所地法を準拠法としてして定め、夫の住所が日本にある場合に反致を認めると、結局「夫」を基準として準拠法を決定することになるからである。このようにわが国際私法が一定の連結政策を採用している場合にはこれと抵触することになる反致は許容されない。両性平等という連結政策と反致についてはこのように立法的な解決が与えられる。仮に中華人民共和国継承法第三六条が遡及的反致を定めた条項であるとしても、これをそのまま日本国で認める必要はない。法例第三〇条(改正法例第三三条)の解釈上、準拠法の遡及的変更の禁止という要請から、これと矛盾する結果を導く反致を否定することが妥当である。今回の法例改正では「この法律の施行前に生じた事項については、なお従前の例による。ただし、この法律の施行の際現に継続する法律関係については、この法律の施行後の法律関係に限り改正後の法例の規定を適用する」と付則において定められている。つまり、遡及的な形での準拠法の変更を認められていない。準拠法の遡及的変更によって法的安定性が害されることを阻止するためである。この法理は、外国国際私法からの反致が成立するか否かを決定するか否かを決定する場合にも、採用されるべきことは当然である。

もし本件において、右の遡及的反致が可能との「解釈」をとるときは上告人らはいったん呉京香の死亡により取得した相続財産を、後日右の中華人民共和国継承法の制定により過去に遡って剥奪されるということになる。

これは「財産権はこれを侵してはならない。」と定める憲法第二九条一項の定めにも反することになるから、公序良俗に反すると断ぜざるを得ない。

すなわち、もし遡及的反致が可能であるとの「解釈」が中華人民共和国においてとられているとしても、日本において同じ「解釈」を採用する必要は全くない。

右のごとき「解釈」の限度において、中華人民共和国継承法の反致条項は公序良俗に違反するのであるから、法例第三〇条(改正法例三三条)によって、右反致条項に適用は認められないのである。

(西ドイツ国際私法の解釈として、Von Bar、Internationales Privat-recht I、1987、543:Palandt/Heid-rich、48Aufl.、6、3)(a)。

5 しかし改めて中華人民共和国法の解釈の問題として考えてみても、上告人としては、中華人民共和国においても、かかる遡及的反致などという「解釈」は認められていないものと思料のする。

すなわちこのことは、甲第九号証の文言自体からも推認できるのである。

甲第九号証においては中華人民共和国継承法の適用につき

「家族と財産の安定を保持し、不必要な動揺が発生しないように……」(〈書証番号略〉の訳文の末尾四行部分)という趣旨で、

「本法が発行する前に既に遺産が処理されたものは改めて処理しない。本法が発行する前に未処理のもの及び本法が発行した後に発行した継承関係については本法が適用される。」との説明が成されている。

本件のように同法第三六条の反致条項を同法第三七条の施行期日の定めに反して九年も遡って適用し、そもそも実体法上確定していたはずの相続人の地位を後日剥奪するがごとき取扱いは、右にいう「不必要な動揺」を発生させるものであって、右甲第九号証の趣旨に真向こうから反するものであることは明らかである。

すなわち中華人民共和国においても、遡及的反致などという「解釈」は中華人民共和国継承法の解釈としても成立し得ないものであるといわざるを得ない。

6 なお若干補足すると中華人民共和国においては一九八六年に「中華人民共和国民法通則」が制定され、その第八章においてわが国の法例に相当する「渉外民事関係の法律適用」についての定めがおかれた(〈書証番号略〉)。そしてこの法律第一四九条は、

「遺産の法定相続の場合、動産については、被相続人の死亡時の住所の法律を適用し、不動産については、不動産所在地の法律を適用する。」

と規定している。これは中華人民共和国継承法第三六条一項と同趣旨の定めであるが、この中華人民共和国民法通則第一五六条は

「本法は一九八九年一月一日から施行する。」

と定めている。

すなわち、この中華人民共和国民法通則も、原審判決の考え方によれば同法制定前に遡って適用されることになる。

またこの数年、中華人民共和国においては次々に法律が制定されているが、これら法律を見るといずれも施行日は定められているものの、その法律が施行日前に遡って適用されるかどうかについて全く何らの定めも置かれていない。(これは中国研究所編「中国基本法令集」(日本評論社)を御参照頂ければ明らかである。)そうすると原審判決の考え方によると、これら法律は全て施行日以前に遡って適用することが可能となる。

これは、我々の法律常識に反する驚くべき「解釈」である。我々の法律常識からすれば、特別の経過措置が当該法律で定められていない限り当該法律は施行日の前後でその適用、不適用が截然と区別されるのである。原判決は、このような法律常識にも反した極めて異常なものといわざるを得ないのである。

五 まとめ

右の次第であって、要するに原判決は

①中華人民共和国について反致についての不文法なるものがあった。

②中華人民共和国継承法第三六条は遡及的反致を認めている

③右のような反致を認めても法例には違反しない。

としたのであるが、これらがいずれも誤りであり、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背があることが明らかである。

上告人が甚だ遺憾に思っていることは、原審裁判所が、外国法について自ら全く探究することなく、たかだか「公証員」なるものの「証明」とか政府委員の「説明」、または「意見」といったあやふやなものに全面的に依拠してしまっていることである。外国法といえども裁判所は法を正しく知っていることが建前となっているし、またそうすることが職責のはずである。最高裁判所におかれては、これを熱意をもって探究されるよう心から期待するものである。

第二 審理不尽 理由不備

一 原判決は本件土地賃借権の存在について、

「呉場が呉京香に地代を支払っていたことを認めるに足りる証拠はない上呉場と呉京香が親子であることにかんがみると、呉場は、本件建物を取得する際、佃の有していた賃借権を承継しなかったか、本件土地を呉京香のために取得した時点で賃借権を放棄したものと認めるのが相当である。」と判示する。しかしこれは誠におかしい。

二 「佃の有していた賃借権を承継しない」などということはありえない

1 原判決は、呉場が「本件建物を取得する際、佃の有していた賃借権を承継したかった」と判示する。

しかし、本件建物はもともと建物所有目的の賃借権つきのものであった。そもそも借地権は建物の従物であり、「従物ハ主物ノ処分ニフ」(民八七)のであるから、呉場が建物を佃氏より買取ったときに当然借地権も買取ったことになる。

原判決は「佃の有していた賃借権を承継しなかった」というのであるから要するにこの従物たる借地権をわざわざ売買の対象から除外したということになる。

するといったいその借地権はどうなったのであろうか。また、なぜそんなことをしたのだろうか。地主の井口氏との関係でこの土地の使用権原をどのように理解したらいいのだろうか。

2 借地権付建物の売買をする場合、わざわざ借地権を除外して建物のみを売買の対象とするなどといったことは、通常の取引社会においては特段の事情がないかぎりあり得ない。

原判決はこの特段の事情について「呉場と呉京香が親子であること」と述べるだけである。

3 しかし、借地権を売買の対象からはずすか否かは、地主井口氏と建物買主たる呉場及び借地権者たる佃氏との三者の関係に属することであって呉場と呉京香が親子であろうがなかろうが、全く関係のないことである。すなわち、原判決は右判示について全く理由とならない事情を「理由」としているのであって、これが審理不尽、理由不備となることは明らかである。

三 賃借権は放棄していない

1 原判決は、「呉場と呉京香が親子であることにかんがみると、呉場は……、本件土地を呉京香のために取得した時点で、賃借権を放棄したものと認めるのが相当である。」と判示する。

2 しかし、次の事実に照らすと呉場が呉京香のためにわざわざ借地権を放棄したことは考えられないのである。すなわち

①呉場の本妻は呉京香の母である呉林玉枝であったが、呉場は本妻のほか多くの婚姻外の女性を有していた。この婚姻外の女性は呉場が本件建物を買受けた昭和二一年九月当時五名おり(なお甲野春子とは、昭和四〇年頃関係が生じたらしい。)これらの女性との間にできた子供も当時既に計九名の多きを数えていた(〈書証番号略〉参照)。

従って呉場はこれら女性の許に暮すことが多く、本妻の許には余りやって来ていなかったのである(呉四村調書4丁表)。

②本件建物(〈書証番号略〉)は一階一五六、一九平方米(四七、二五坪)、二階が二つにわかれており、一つが四九、五八平方米(一五坪)、もう一つが二九、七五平方米(九坪)、合計で延床面積七一坪という大きな建物である(そのおよその間取りは〈書証番号略〉参照)。

従って、右建物を買取った際、前所有者の佃信夫氏夫婦を同居させ、また上告人呉哲男や諏訪とし、小日向咲子らを同居させたのである。

③そもそも本件建物は戦災で焼け出された右呉林玉枝一家と諏訪とし(呉哲男の母)の一家、その他の婚姻外の女性を居住させるために呉場するものではなく、依然として賃貸借のまま残るものと解されるのである。(なお留保された賃料は、その後この留保をした基礎事情が変化すれば再び支払わなければならないこととなるものと解される。)

3 先にあげた①②③の判例は、いずれも賃貸借の成立に関してのものであった。本件は既に成立し長らく存続していた賃借権の存続に関するものであり、右判例に考え方はより一層妥当するものと思われるのである。

4 右の次第であって、呉場が賃借権を放棄したと判示する原判決は、明らかに理由にそごがあるものと言わざるをえない。

以上の通りであって、いずれにせよ原判決は破棄すべきものと思料されるのである。

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